祖父の葬式に行ってきました

こんばんは。

祖父の葬式に行って来たので、本当は祖父の思い出話とかをまとめようかとも思ったんですが、あまりにも親父が頭おかしい事していたので愚痴をまとめておきます。

一応下の方に祖父のことを書いておきます。

 

葬式で喪主がやる事

葬式ってすごいばたばたするんですよね。

地域と根強い関係を持っている田舎だと、特に。

普段あんまり家に来ないような人も出たり入ったりするんで落ち着かないです。基本的に。

でも、造花とかは全部業者がやってくれるんで、喪主がやる仕事は、ちょっと言い方がおかしいですが、参加してくれるはずの人(?)に連絡をして、日程を決めるだけです。

日程を決めると言っても、ほとんど業者がやってくれるんで、ぶっちゃけ地域の人に、お通夜と葬式やるんで、この日の、この時間に来てね。っていうくらいで、ほとんど仕事があったようには思えません。

しかし、忙しい忙しいと言ってなぜか不機嫌になる父親。

とにかく朝は早く起きろと言われ、6時に朝ご飯を食べて15時まで暇...とかいうよくわかんないことを3日間もしていました。やっぱり段取りの悪い人って居るんですね。まさかそれが父親だとは。

 

出番をとられて不機嫌になる父親

最後のあいさつをすべて、母の兄(常識人。しかし若干酔っていた。)に言われてしまって、すごい不機嫌になる。あの人不機嫌になると、独り言をいい初めるからまじで怖い。将来間違いなく、頭やられると信じている。

 

あと、忙しい忙しい言う割には、すべての仕事が杜撰でして、たとえば、お通夜の時間を間違って地域の人に伝えていたり(そのくせ、なんであいつは来ないんだ!とキレる)、テンプレのあいさつを紙を見ながら、なんどもつっかえたりカミながら読んだり(丁寧な単語の節目に方言とか命令形とか出て来て、笑ってはいけないかと思った)...と良い所無しでした。

祖父のことを悼んでいたのでは?って思うかもしれませんが、全くそんなそぶりはありませんでした。祖父の横で泣いている私の姉に向かって、リハビリはあんなことをするのか?医療ミスがあったんじゃないか?となぜかまくしたてたり、面倒だから49日も一回忌もやりたくないとか言い始めたり...

泣いている祖母に、邪魔だから後にしてくれ!と怒鳴ったり...

 

そう、そして、最後にめんどうだから一回忌はやらないとか言い始めましたときに、母の兄がそれに対して、馬鹿を言ってるんじゃない!と叱ったところ、

「100年,200年前の常識がこれからも通用すると思うなよ!良い物は残って、悪い物は淘汰されるのが世の常だろ!」

と何故か、逆ギレ。

しかもなんか良い事を言ったかのようなドヤ顔。もう頭悪い人って基本的に自分本位で考えるよね、文化とかそういうのどうでもいいとか思ってるよね。面倒だから49日も一回忌やらないとかもう頭沸いてるだろ。そういった理由に面倒だからって単語が出てくる事自体おかしい。

 

そしてその夜、俺の部屋にきて

父「俺の今日の対応、大人だったと思うか?」

俺「あー、そうなんじゃないのー(棒」

父「そう思うか!やっぱりそうだよな!

と息子にすがりつくとかいうホントに良い所無し。

 

あの対応が大人だと思っているんだと思うなら、小学生の道徳の授業とかちゃんと受けた方が良いと思う。もう50超えてるのにこれって頭おかしいだろ...

 

 

と、とにかく本当にひどかったです。

姉ともう二度と実家に帰ってきたくないと話していました。

父親の口癖に「勘当」っていうのがあるんですけど、あっちからお願いされるのなら、喜んで勘当させて頂きます。小学生の頃から言われていたのだけれど、冗談でも息子に言っていい言葉と悪い言葉の区別もつかないのだろうか。

 

さて、父親の愚痴はこのくらいにしておきます。

 

 

祖父との思い出を振り返ってみる

で、どんな祖父だったのかをいろいろと考えていたのですが、とにかく真面目で寡黙な人でした。(一応、僕は祖父の内孫です)

兄と姉は両親に可愛がられていたのですが、末っ子の僕は専ら祖父母に相手をしてもらうことが多かったです。

特に小学校に上がるまでの僕の遊び相手はとにかく祖父でした。

山に虫をとりにいったり、川に遊びにいったり、祖父のゲートボールの試合を見に行ったり、将棋をしたり...と、とにかく退屈が苦手だった僕の相手をよくしてくれました。

小学生の高学年くらいになると、祖父と話す事はほとんどなくなりました。いわゆる思春期ってやつですね。

それでも朝のあいさつと、学校から帰って来た時のあいさつはいつもしていましたが。

思い返すと、僕が高校生になったくらいから祖父の耳が若干遠くなって来たような気がします。

慶応義塾大学に受かったと報告すると(お金無かったんでいきませんでしたが)、

「あれは坊ちゃんがいくところだろう。というかお前さんはそんなに頭が良かったのか!」

と、初めて僕の事を褒めてくれたのを覚えています。

 

で、僕が大学に入ると祖父の調子はめっきり悪くなります。

昔は夕食時にビールを飲んでいたりもしたのですが、養命酒に変わり、

原付も危ないからやめたり、耳がさらに遠くなって聞こえなくなったり...と家族からも少しずつ疎まれていたような気がします。

 

僕が社会人になると、糸が切れたように体調が悪くなります。

春にガンが発覚して、夏に手術を受けて入院して、立ったり喋ったりすることができなくなり、そのまま秋に亡くなりました。

手術後は本当につらかったようで、お盆に僕が見舞いに行くと、しっしっと手を振っていたのを覚えています。

祖母はその事を責めたらしいのですが、

もう辛いところを見せたくはないし、辛いのも嫌だから楽にしてくれ。

もう孫に残せる物は何も無いけど、財布の中のお金を渡しておいてくれ。

と言ったそうです。

 

仮通夜で僕がかなり泣いた理由がもうひとつあります。

僕が大学を卒業した時に、今までお世話になった人たちに直筆で手紙をおくりました。

細かい内容は覚えていないのですが、祖父にはいろいろ遊び相手になってくれたことへの感謝、これからは社会人としてがんばって働くよという抱負、最後にどうか曾孫を見るまであと3年間くらい生きてほしいという旨を綴った手紙を送りました。

 

祖母から聞いたのですが、祖父は最初にそれを読んだ時は特に何も言わなかったそうですが、あとで何度も何度も読み返しているのを見たそうです。

それを孫の僕に知られるのが嫌だったらしく、祖母は祖父から口止めされ、ずっと隠していたそうです。

そんな祖父がたまらなく愛おしくて、涙がとまらなかったのですが、父親がクズすぎてなんかもう本当に台無しでした。

 

あと祖母からなれそめを聞いたのですが、祖父はただのイケメンではなくて、ウィットに富んだ冗談を飛ばすのがうまく、みんなの中心にいたそうです。

ただ、体が弱い人でそんな祖父を守ってあげたい!と思って猛烈アタックしたとか。

そんな祖父は家の中では真面目で寡黙な人でしたが、よその人にはとても社交的で、人望に満ちあふれた人だったそうです。(祖父が婿養子であることも関係しているのだろうか...)

姉や祖母から話を聞くと、改めて祖父の事は何にも知らなかったのだなーと強く思いました。孝行らしい孝行もしていないので、なんだかすごく責を感じております。

死んでからの供養はそれを打ち消すための儀式に思えて、かなり嫌な気分でした。

やっぱり生きているうちに孝行しないとだめですね。それがお互いのためです。

 

あと最後に、中越地震の時同様に、祖父の無くなった日は、星がこわいくらいに奇麗でした。

49日は帰らない予定ですが、どうかゆっくりお休みになってくれることを祈っています。